高度熟練技能の伝承モデルの提案


日本人間工学会第38回大会シンポジウム『再評価される熟練技能−高度技術社会における技能−』
(1997年5月16日 産業医科大学)

1.再評価される熟練技能
 ここ数年、「モノづくりにおける人間の役割」、とりわけ人間の持つ「生産技能(以下「技能」)」についての再評価が進んでいる。21世紀は、間違いなく高度技術の時代である。しかし高度技術社会は、決して人間の技能を必要としない社会ではなく、人間の技能があるからこそ機能する社会である)(文献1参照)。

2.高度熟練技能の伝承の重要性
 中村は、今後の技能者に求められている役割を整理し、これをもとに今後の技能者の類型として、一般技能工である「ノーマル技能者」、多能工である「マルチ技能者」、高度の技術的知識を持つ「ハイテク技能者」、及び高度に熟練した技能を持つ「スーパー技能者」の4種類を提示した(文献2参照)。
 この中で、これからの高度技術社会でより一層重要な役割を担うと考えられるのは「ハイテク技能者」と「スーパー技能者」であろう。このうち前者については、量的に多くの人数を必要とするため、専門教育機関の設置など様々な技能者育成方策が取られてきている。一方、後者はいわゆる「○○名人」「△△の神様」と呼ばれる高度熟練技能者であり、その技能の本質は明らかにされておらず、伝承方策も確立されていない。しかし、このタイプの技能が存在してこそ、機械だけでは実現できないような高精度の製品、すなわち今後日本が取り組むべき「付加価値の高いモノづくり」が可能になる。
 そこで以下では、この「スーパー技能者」が持つ「高度熟練技能」について、その『伝承モデル』を提案し、今後の高度熟練技能の伝承のための対策立案に資するものとしたい。

3.技能伝承の諸段階
 技能伝承という問題を考えた場合、上述の技能者の類型と同様、技能の特性に対応して、何段階かのレベルを考える必要がある。ノーマル技能者の場合、決められた作業手順を確実に行うことが第一に求められており、これに対して「ノウハウを手順書にまとめる」などの「技能の技術化」を行い、これを教育研修により作業者に覚えさせ作業に際し遵守させることなどで、技能の伝承が図られている。
 一方、スーパー技能者の場合は、決められたことを確実に行うのではなく、より高いレベルに到達するために日々独自の工夫を重ねている(考えている)。そのような技能は、技能の技術化では伝承できず、人から人への伝承によることになろう。

4.高度熟練技能の伝承モデル
 ここでは、現場ヒヤリングの結果と最近の認知心理学の研究成果(文献3参照)である認知的徒弟制あるいは正統的周辺参加論(文献4参照)と呼ばれる考え方をもとに、人から人への伝承による高度熟練技能の伝承モデルを提案する。

4-1.モデルの基本的考え方
 技能の習得・伝承では、Off-JTのように現場から切り離された形で受動的に技能を「体験する」よりも、その技能が使われてる現場世界(実践共同体)に積極的に参加し、コミュニティの明示的・暗示的ルール(規律、所作、言葉等)に触れながら、技能を「生きた形」で習得することが重要である。また「新参者→中堅→古参者→親方」という階層の中で、親方などから明示的に教えられることに加えて、他の徒弟の様子を見て感じられることや仕事中の雑談、さらには仕事以外の生活の場面場面で出会う周辺的なできごとが、技能の自然な習得に大きな役割を果たしている。
 このような方法により習得される技能は、「手先の器用さ」などの“テクニック的な技能”というよりも、自己の状態やワーク、環境条件の捉え方・評価基準などの“メタ認知的な技能”であると考えられる。そしてこのようなメタ認知的技能こそが、機械への置き換えが不可能な、高度熟練技能の本質である。
 なおここでは、「技能が伝承される」ということについて、次のように考えている。  技能伝承とは、師匠の技能そのものが完全に受け継がれるのではない。師匠の技能の大部分は受け継がれることが可能だが、残りの部分は弟子独自の創意工夫であり、受け継いだ部分と弟子独自の部分の和が師匠の技能と同等以上の成果を修められるようになった時、「技能が伝承された」と解釈される。
 特に近年はコンピュータ化の進展が激しく、そのため師匠役の技能が、そのままモデルとはならない場合もある。このような場合、技能(例えば「削るということ」)に対する基本的な考え方を師匠役から学び、テクニック的な面については例えばOff-JTなど他の方法で習得していくことになる。
 この高度熟練技能伝承モデルは、次の3つのサブモデルから構成されている。

4-2.サブモデル
[1]技能社会モデル
 いくつかの技能コミュニティの集合。必ずしも地理その他の面でそれぞれのコミュニティが接触している必要や実態的に組織として成立している必要はないが、ある技能について共通の価値観、言語等を有する社会。例えば「旋盤工の世界」など。
 現在は技能コミュニティ間の交流がそれほど行われていないため、技能伝承に際して明確な役割を果たしている訳ではないが、「従来型旋盤からNC旋盤への移行に伴う旋盤工としてのあり方の変化」のように、技能コミュニティ全体の方向性を規定する。
[2]技能コミュニティモデル
 高度熟練技能伝承モデルの中心となるサブモデルであり、実際の技能伝承が行われている場。具体的には、ある工場の技能別の1つの課(例:機械1課[切削担当])程度のイメージであり、数人〜数十人で構成される。
 4-1.に示したように、技能者はその技能が使われている技能コミュニティ(実践共同体)に所属することで、技能を伝承することが可能になる。
 経営環境の変化や技術の進歩などに伴って、実践共同体そのものも変化していく。静的なイメージがある高度熟練技能者(師匠役に相当)の技能も、経営環境の変化や技術の進歩などに応じて、(単に熟練度を増す方向だけでなく)本質的な変化をし続けている。
[3](1人の)技能者モデル  スーパー技能者は一足飛びに育成できるものではなく、ノーマル技能者からの長年の積み重ねにより到達される。
 近年は特に人件費抑制の観点からマルチ技能への要求が高いため、スパイラル的にいくつかの技能を習得していく。高度熟練技能者を目指す者は、ある時点からその人の特性に応じて、1ないしごく少数の技能に特化して、極めて高水準の技能を習得しようとする。この際、過去に他の技能についてもある程度のレベルを習得していると共に違った立場(職能)からの物の見方も獲得していることで、生産工程全体への理解が進み、より広い視野に立つことができるようになる。

参考文献

  1. シンポジウム『再評価される熟練技能−高度技術社 会における技能の意味』、第26回日本人間工学会関東支部大会、1996
  2. 中村肇:製造業における技能伝承に関する研究、三菱総合研究所所報No.25、1994
  3. 波多野誼余夫編:認知心理学5 学習と発達、東京大学出版会、1996
  4. ジーン・レイヴ、エティエンヌ・ウェンガー(佐伯胖訳):状況に埋め込まれた学習−正統的周辺参加−、産業図書、1993


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