1.再評価される熟練技能
ここ数年の間に、熟練技能を巡る環境は徐々にではあるが好転してきたように思える。
今年に入ってからの動きを見ても、熟練技能者の評価と彼らの持っている熟練技能の次世代への伝承について、各所で様々な取り組みがなされていることがわかる。政府は5月にまとめた『経済構造の変革と創造のための行動計画』で、熟練技能者を「モノづくりの基盤」として位置づけ、対策を盛り込んだ。労働省が4月に発表した「高度熟練技能継承検討委員会」の報告書は大変な反響を呼んだし、この委員会を引き継いだ形で7月には「高度熟練技能活用検討委員会」が設置され、高度熟練技能者を社会全体で活用するシステムのあり方の検討を行っている。機械金属産業を中心とする中小企業の労働組合であるゼンキン連合は、9月に発表した「モノづくり基盤の再構築」に向けての提言の中で、熟練技能の評価・伝承のための具体策を提案している。このように、熟練技能の再評価の気運は確実に高まっていると言えよう。
しかし、『では、どうやったら熟練技能を次世代に継承できるか』については、はっきりとした答えは示されていないようである。そこで以下では、まず、これからのモノづくりにおいても熟練技能が依然として重要であることを確認し、今後の熟練技能者の姿として4つの類型を提案する。次いで、そのような熟練技能の伝承のために各所で行われている諸方策の概略と、その中でも特に注目すべき事例を紹介する。さらに、神奈川のモノづくり機能の再構築のために「技能コミュニティ」の考え方を紹介し、最後に、技能の社会的評価の向上と技能尊重社会の形成に向けた、いくつかのアイデアを披瀝する。
2.高付加価値の製品づくりを支える熟練技能
(省略)
3.今後の技能者の4つの姿
(中略)
これまで、効率の向上や品質の均一化などを目指して多くの熟練技能が機械に置き換えられてきており(技能の技術化)、機械によって代替可能な技能については今後も次々と代替されていくと考えられる。しかし、
4.熟練技能の伝承に向けた取り組みの事例
しかし、このような熟練技能は、現在、伝承の危機を迎えている。
上述の高度熟練技能継承検討委員会が行った調査によれば、高度熟練技能者(スーパー技能者)の平均年齢は45.5歳、高度熟練技能を身につけるには約16年を必要としている。このことは、あと数年もすれば高度熟練技能者の養成は非常に困難な状況になってしまう、すなわち高度熟練技能の伝承は、まさに今対策を講じなければならない緊急の課題であることを示している。
では、企業としては何をしなくてはならないだろうか?
企業がまずなすべきことは、「伝承していくべき熟練技能の選定」であろう。製造業における技能が伝統工芸における技能と異なる点は、社会のニーズの変化や技術の進歩に応じて絶えず変化(進化)している点である。この変化の過程で、既に使われなくなり、また現在の技能の基盤としての役割も失った技能は、企業社会の厳しい生き残り競争の中ではなくなっていかざるを得ない。効率化のために機械化できる技能は機械化していくべきであろう。
しかし“人から人へ”受け継いで行くしか方法がない熟練技能も少なからず存在する。そしてそれらの熟練技能は、多くの場合「製品の善し悪し」を左右する役割を担っている。ちなみに、筆者が熟練技能のマニュアル化・機械化を進めているある高度熟練技能者に尋ねたところでは、「マニュアル化できるのは、自分の持っている高度熟練技能の6割」ということであった。
(中略)
次に、各企業が取りうる具体的な技能伝承方策としては、以下のようなものがあろう。
これらの方策の中で、ここ1〜2年の間に出現(復活)し、熟練技能の伝承のための有効な手法として筆者が注目しているのが、高度熟練技能者(師匠役=伝承者)とその技能を受け継ごうという後継者(弟子役)を、「技能の伝承」という目的をはっきりさせた上で人事上明示的にペアとし、数年の間ずっと一緒に仕事させることによって伝承者の持つ高度熟練技能の後継者への伝承を図っていくという方法である。このような方法はOJTと同一視されやすいが、従来のOJTが忙しい仕事の中でともすれば教育という意味が薄れがちで先輩の“お手伝い”になりがちなのに対して「技能の伝承」という意味を強調していること、及びOJTで指導にあたる側は基本的には先輩としての義務から指導にあたっており、指導したことに対するメリットはほとんどないことが、大きく異なっている。
この代表的な事例としては、マツダの「卓越技能者養成コース」があげられよう。マツダの事例で特に注目されることは、自らの持つ熟練技能を次世代に伝承しおえた高度熟練技能者に対して「技能マイスター」という称号を与え、製造ラインの第一線管理監督者である「職長」と同等の職位として処遇している点である。また、師匠1人に対し複数の弟子がいることによって、弟子にとっては自分に近い技能レベルの弟子仲間のやり方や考え方を見ることができ、レベルが違いすぎるためにすぐには理解しがたかった師匠のやり方や考え方を理解する上での助けになる、ということも指摘できよう。
5.技能コミュニティの形成によるモノづくり機能の再構築
本稿においては、これまで熟練技能の伝承に向けて各企業が取るべき方策を述べてきたが、4.に示したような個々の企業単独での取り組みには限界がある。また、「労働かながわ」の1996年11月号で、関満博氏が、神奈川県の産業構造の特色は特定の企業を頂点とするいくつかの技術ピラミッドが重なった形にあり、その底辺部分では相互の交流が希薄であり、モノづくり機能再構築のためにはこの部分を強化することが必要である、と指摘している。
そこで、神奈川のモノづくり機能を再構築し、熟練技能の伝承を図っていくための方策として、「技能コミュニティ」という概念を提案したい。
マツダの事例で述べたように、熟練技能の伝承では、様々な技能レベルのものが参加することがより効果的である。しかしながら、経営の効率化や若手技能者不足がいわれている現在、大企業ならともかく、中小企業では1企業単独で熟練技能の伝承のために多様なレベルの後継者を割り当てることは、困難な状況にある。そこで、ある地域内で、類似の技能を持つ複数の企業が横のネットワークでつながり、互いに自社が保有している技能をオープンにし合い、日常的に接触することで、熟練技能をキーにしたコミュニティ(共同社会)を形成してはどうだろうか。このようにして様々な熟練技能者が集まる中で、熟練技能が伝承されていき、モノづくり機能も強化されていくと考えられる。さらに、技能コミュニティ形成を促進するための手段として、自治体や業界団体の支援の下で、高齢に達したため製造現場からはリタイヤしたが、高度の熟練技能を持ちその伝承に意欲がある熟練技能者を師匠とした「工房」を設け、その熟練技能を学びたい者は定期的に工房に通い、師匠と一緒に仕事をすることで師匠の熟練技能を伝承していく、といった「技能塾」などのアイデアもあるだろう。
6.技能尊重社会の形成に向けて
熟練技能の伝承を進めていく上で、技能の社会的評価の向上と技能尊重社会の形成は必要不可欠である。最後に、そのために企業あるいは自治体や業界団体が簡単にできそうなアイデアをいくつか示すことで、結びとしたい。
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